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なぜ今、懐かしいアニメ・特撮なのか

 ここ2,3年、レトロブームが続いている。コンビニには昭和の漫画が再編されて並び、梶原一騎や手塚治虫をテーマとした雑誌も刊行されている。また、DVDなど最新の媒体にも、昭和の番組が多くソフトとして制作されている。

 レトロとは、フランス語でRetro『復古』『懐古』などの意味があるらしい。英語にもRetrospectという言葉があるが、辞書によると『回顧』という意味で、少しニュアンスが異なる。
 昭和の末期、バブル経済華やかなりし頃にも、レトロブームは存在した。私はまだ幼かったので、詳しいコトまでは覚えていないがどちらかと言えば、車や時計、家具などのハード的な商品が、多く溢れていたように思う。これらの商品は、『懐古』である。
 しかし、最近のレトロブームは『復古』であると感じる。
 まず、商品の多くが『映像』『音楽』『漫画』などのソフトで、それに付随する形でフィギアなどが売られており、実用性に乏しいモノが主流である。また、当時を知らない若い世代にも、こういった作品・商品への興味が生まれている。
 つまり単なる懐かしさだけで、商品が売れているワケでは無いのである。

 何故か?

 私はこう考える、これらの作品・商品は、現代人にとって乏しくなりつつある感性を、補ってくれるからではないだろうか、と。言い換えれば心のサプリメントである。
 当時の作品は昨今の作品と比べて、大らかであったり、突飛であったり、熱かったりした。
 リアリティやストーリー性を重視している作品では、けして生み出すことの出来ないパワーが、かつての作品には確かに存在したのである。
 こういった熱いパワーこそ、現代人が無くしてしまった、心の栄養素なのだ。

 そしてこのサイト『懐かしいアニメ・特撮の部屋』である。ここは、単に昔を懐かしむためだけに制作されたのではない。往年の作品が持っていたエネルギーやパワーを、皆で発掘し共有していこうという趣旨を持っている。他の管理人の意向は判らないが、私はそのつもりだ。
 そのために、多くのコミュニケーションツールを備えている。ぜひ、多くの方に参加して頂きたい。

2003/09/19 tkakt(大幹部)mail HP

 

 

なぜ今、懐かしいアニメ・特撮なのか2

 懐かしいアニメ・特撮はわかりやすい。

 今のアニメ・特撮は複雑である。1話見逃すと次がわからなくなる。それでも「どーしても見たい場合」は、DVDを購入しても。と思うのだが「どーしても以下の場合」は、もう見なくなってしまう。 平成仮面ライダーシリーズにしても、変身をしなければトレンディドラマと内容が変わらない…。
 私が見てそうなのだから、子供が見てストーリーを把握出来ているのか考える…。

 懐かしいアニメ・特撮はその点わかりやすい。

 善と悪しかない。はっきりと関係がわかるので、見ていてもわからないってことはない。
 まず、アニメ・特撮というのは子供が見るものという前提で作られているものが多い。子供に複雑な人間関係が理解出来るのか? まずは、善悪の区別から理解すべきでは? と、私は考える。
 本来アニメ・特撮は、子供の情操教育の為に作られるべき世界なのだ!まず基本の善悪の区別を理解し、それから複雑な世界に突入すべきである。
 今のアニメ・特撮は本当に子供向というアニメ(アンパンマン等)は、区別されてしまっているように思える。

 私は子供も大人も一緒になって見れるアニメ・特撮が見たい。そうなってくると、懐かしいアニメ・特撮は最適な物件といえる。
 子供も大人も一緒になって楽しめる そういうアニメ・特撮が私は好きだ

2003/09/22 junk_rx93(総統)
tkakt(大幹部)のコメント

「ヒーロー番組とは、教育番組である!」こう言い切ったのは、永遠のヒーロー宮内洋(御大)です。けだし名言ではありますが、昨今の番組はどうやら若い母親向けに作られているように感じます。
 現在、制作サイドの中核は、マジンガーZに燃え ウルトラマンに涙した人たちだと聞いています。是非、熱かったアノ頃を思い出し、魂のこもった作品を手掛けて欲しいものです。

 

 

アニメ・特撮ソングの未来を考える

「・・・もうこんな時間か・・・」私の日曜の朝はこうして始まる。
 また今週も、アバレンジャーと555を見過ごしてしまった。最近の特撮番組は一話見過ごすとわからなくなる、一話完結ではなくなったからだ。アニメならともかく、特撮にもこの風習が入り込んできた。まぁそんな時代なのだろう、しかたがない。
 それでも納得できないことがある!それは主題歌だ。戦隊はともかく、ライダーに関しては言いたい「コレが特撮の主題歌かと!」
 ノリはいいのだが、有名アーティストが歌うことが不思議でならない。そして心配だ…。コレでは最近のアニソンと一緒ではないか。ついに特撮ソングも崩壊が始まったのか…。
 アニメソングは90年代に入ってから崩壊が始まった。そして2000年代で完全崩壊・・・私はそう思っている。
 私は、アニメソングとアニソンで単語を使いを分けている。アニメソングは「崩壊以前」、アニソンは「崩壊以後」。アニメソングとは、アニメソングを専門に歌うミュージシャンが歌っていて、内容も非常にわかりやすく(番組タイトルが入っている等)子供向け。アニソンは有名ミュージシャンが歌う完全な歌謡曲としている。特撮だけはそうならないと信じてきたが、ついに崩壊が始まったのか。否 それだけは阻止せねばならない!
 アニメ・特撮ソングは、もう一度対象年齢を考えていただきたい。イケメンヒーローの誕生で、主婦層にターゲットを向けるのは考え物だ。番組の途中のCMでは、あくまでもターゲットは子供のままだ。何かが矛盾している。
 対象はあくまでも子供なのだ。子供がわかりやすい主題歌にしなければ、本当にだめになってしまう。もう一度基本に!それしか手段はない。私はアニメ・特撮ソングの基本をこう考える。「明るく・楽しく・わかりやすく・そしてかっこよく」と・・・子供がわかりやすく歌える歌を!それが私の願いである。

2003/09/23 banbasoukiti(隊長) 20代後半 林業
tkakt(大幹部)のコメント

 要は、番組の内容とマッチしているか・・・だと思います。主題歌、エンディングも含めて一つの番組であり作品。商業主義の制作で、真に心に残る番組は出来るのでしょうか。
 番組制作に携わる方々には、クリエイターとしての誇りとコダワリを見せて貰いたい。
 

 

 

何故巨大ロボットが人気があるのか?

 そこには『巨人』→『守ってくれる者』→『神』という図式が成り立たないだろうか?
 巨人伝説は世界中に存在する、北欧の巨人伝説、ギリシア神話のティターン神族。そしてそれらの伝説を元に作られたのが、往年の名作品【大魔神】である。
 そしてさらに、永井豪などの漫画家が、巨大ロボットを創作していったのである。もちろんこれは私の考えでありこれが真実とは言っていない

2003/09/25 バサラ 静岡県在住
tkakt(大幹部)のコメント

 かつて巨大ロボに人気があったのは、日本だけだったとか。欧米では「あんな巨大な機械が動いて戦うわけが無い」と、醒めた目で見られてようです。日本には、巨大ロボが受け入れられる土壌があったのでしょうか? 巨大ロボに関する考察は、こちらもどうぞ。

 

 

これで良いのか?小公女セーラが教えてくれた事。

 私は、フジテレビの世界名作劇場『小公女セーラ』を、リアルタイムで見ていた。小学生の頃だ。
 当時の記憶をたどると、物語はこうだ。お金持ちの娘として女学院に入学>チヤホヤされる>父親が事業で失敗、一文無し>ミンチン先生キレる>屋根裏+いびられ生活開始>健気に生きる>隣に金持ちインド人がやってくる>金持ちインド人、セーラの父親に恩がある>セーラ、インド人に引き取られ金持ちに>ミンチン先生大ショック>ラビニア名言を吐く>セーラ、船に乗って去る。お終い

 勿論、健気に生きるセーラの姿や心ある隣人たちとの触れ合いに、感動が無かった訳では無い。しかしセーラの境遇が変わったのは、結局『お金持ちのおじさんに拾われたから』に他ならない。
 小公女セーラは、原作のある作品なので、物語のラストを大きく変更する訳にはいかない。それは判る。だが、アニメの小公女は、原作の小公女が持つ毒気を抜かれているのである。
 原作では、『公女は公女、その誇りだけは失ってはならない』が主題。金持ち『公女』>貧しくても『公女』>再び金持ち『公女』。これが原作の流れであり、最も重要な『公女』という気持ちは、常にセーラの中にあった。
 たとえ金持ちのおじさんが現れなかったとしても、「誇りを失わない姿」が強く残っただろう。当然、何らかの形でハッピーエンドにしなければ、物語として破綻したとは思うが。

 これに対し、アニメでは、『聡明で優しく、健気で前向き』が尊ばれていた。それはいい。アニメの主人公として、相応しい姿だと思う。また、原作が世に出てから、100年近い時代の変化があったのだ。封建社会が根強かった当時とは、作品を受け取る世の中が全く違う。
 それでは一体、アニメの主題は何だったのか。「苦境にめげず、人に優しく接していれば、必ず良いことがあ
る」だろうか。これを立派な主題なように受け取るのは危険だ。見返りを求めての「優しさ」など、妥協でしかない。人を思いやる気持ちは、もっと高尚な感情のはずだ。
 物語の流れは、金持ちでハッピー>貧乏で不幸>再び金持ちで大ハッピー、のイメージが強い。これでは、主題が『お金があればハッピー』になってしまう。
 事実、お金があれば世の中ハッピーだ。しかし、そんな事はアニメで教えて貰わなくても判る事である。ましてや、セーラの場合は自分で稼いで手にしたお金ではない。例えそこへ辿り着くまでに、どんな苦労があったとしてもだ。

 では、アニメ小公女セーラは、どうあるべきであったか。それは、ミンチン先生やラビニア、モーリーやジェームスといった、セーラに対して執拗なイジメを行った者に、相応の不幸を与える事である。当然、主人公セーラの手を汚さずにだ。
 これにより、「他人への差別やイジメは、自らにとって大きな不幸になる」という教訓を生み出す事だろう。ラビニアに、「貴方がダイアモンド・プリンセスからダイアモンド・クイーンになる頃、私は大統領夫人になっているわ」等と、名台詞を言わせている場合では無かったのだ。
 もう一つのラストとしては、インドへ渡らず女学院に残り、年長組として下級生の指導に当たりながら、自分
の力で教師などを目指す。ラストシーンは変わってしまうが、他人のお金に頼り切らない、美しい終わり方だと思う。どうだろうか。

2003/10/6 tkakt(大幹部)mail HP

 

 

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